水底ガムシロップ

世の中わかんないことばっかりだ

【映画を見た】仮面ライダーアマゾンズ 最後ノ審判

見てきた。

 

今日のうちに書いておいた方がいいと思うので感想を書いておく。

 

アマゾンズはシーズン1,2と通してヒトが大好物の人型新生物アマゾンと人間の戦いを描いてきた。

1のトラロック作戦、2で人間と同じ姿ゆえの共存の模索、さらなる狩りの実態、溶原性細胞による大規模な増殖を経て、作り出した親たる人間の手で悠と仁以外のアマゾンが狩りつくされた。

2の終わりがそれどころじゃなかったせいで映画を見た後に気が付いたのだが(多分これも脚本家的には狙っていたんだろう)、1開始時点と映画の前段階の時点でアマゾンと人間の力関係は確実に逆転した。犠牲が多すぎたのと人間側の決定的戦力がそもそもアマゾンなのでとても大手を振って勝ったとは言いづらい状況だが、逆転はしていたのだ。

恐らく橘社長や園長はいち早くこの事に気が付いていたんだろう。ビジネス的な慧眼だと思う。そこだけは素直にめちゃくちゃすごいと思う。

逆転した力関係において、アマゾンを畜産として活用し食料難問題を解決に導く。なんでやねん。1の死人リサイクルの頃から思っていたがこの人は商魂がたくましすぎる。たくましすぎる上に自分以外を人間だと思っていないクチなのでああいう非人道的なビジネスを思いついてしまうんだろう。アマゾンズの世界を畜生道たらしめている原因の一つは確実にこいつだと思った。この人に限った話ではないが、悪辣な事をする経営陣程いいことしかしていないと確信しているのは一体なんなのか。奴らに対してはわりと苦しんで死んで欲しい。

 

量産された家畜アマゾンは野菜と穀物だけで丁寧に育てられる。しかもそのアマゾン細胞はあろうことか鷹山仁を元に生み出しているときた。全てのアマゾンを生み出した元凶であり、アマゾンを全て殺そうとする仁がアマゾンを大量生産する媒介になる展開はいくらなんでも酷すぎた。しかもそれが超~~読みやすい伏線というか暗示というか顔伏せで提示されたのが確信犯すぎる。そういう容赦のないところが、とてもアマゾンズらしくて最高だと思った。

 

悠が最初に家畜アマゾンたちを助けに来たシーンは個人的に一番ずっしり心に響いた。人間のエゴで生み出された命を人として扱わない事に憤る悠に対し、「それが私たちの使命」と自我を完全に捨て、死を受け入れているアマゾンたち。生きたいという欲を持たず、誰かの為に死ぬことを望む者の命を救うことは果たして正義なのか?それは救うもののエゴであり、悠の言う「助ける」に値するのか?

特撮の抱える命題の一つ、「誰かを助ける事」の定義に抉り込むよいシーンだった。

 

例の急転直下シーンだが、一緒に見た人が「とにかく肉の咀嚼音が気持ち悪い」と評していた。アマゾンズ全体に言える気がするのだが、この作品の食事の、特に肉を使用したものは「命をエゴで刈り取った」事をことさらに強調してくる傾向にある。だから咀嚼音もアマゾンが生きたまま人間の首筋を齧る時の音を彷彿とさせるし、見た目も我々人間からはおいしそうに映らない。食べている人も不快な笑顔を浮かべている。そのあたりの描写は相変わらず見事だった。

 

あとゴア描写。2でブレーキが爆破されて時速3000kmになった靖子に市中引き回しされた私だったが、冒頭の「アマゾンは残り二体」発言で「あっ、じゃあ捕食シーンとかそういうやつ無いね!よかった~」と信じ込んでいなければもう少し画面を見れたかもしれないなあ、くらいゴア描写もちゃんとあった。純粋な大人を騙すのもいい加減にしてほしい。私の安心をかえして。

これから見に行く人がここを見るとは思わないが、2期ですら見せなかった断面的サムシングが見えるシーンがあるので苦手な人はちゃんと目をつぶる用意をしていってほしい。身を護ることを優先する勇気を持とう。私は趣味を優先してダメージを負いました。

あと敵の、武器。散弾銃に電動ノコギリ。出てきた瞬間「馬鹿野郎何考えてんだ」って思った。実際凄かった。間違いなくニチアサでは一生できない戦闘スタイルだった。考えた人はマリアナ海溝より深く反省してほしい。

 

それから4C。私は元から黒崎さんが大好きだったのだがあの独特の戦闘スタイルがことさらかっこよく描き出されていてもうそこだけで100点中31527369点だった。札守さんが札守ムーブするたびに加点が止まらなかった。

散弾銃を片手で撃つあの仕草に黒崎武の全てが詰まっている。駆除班に助けられたシーンからアマゾンにゼロ距離で攻撃し続けるシーンまでなら何度だって見たい(前後が辛すぎるので実際見れない)

 

このまま書いてると内容全部書きそうなのでまとめて言うと全部よかったのでアマゾンズ2期までを楽しめた人なら見に行って損はしないと思う。ほんと。