水底ガムシロップ

世の中わかんないことばっかりだ

【SideM】タイムプリディクションから考察する「葛之葉家」の外殻について

どうもこんにちは!レジェPの皆さんイベントお疲れさまでした。

前回のブログが限界すぎたのか知らない人にも見てもらえてて嬉しいです。ありがとうございます。おかげで生きています。

 

今回は少し趣向を変えて、そもそも雨彦をああいう人間にした葛之葉家って一体どういう存在なんだ?もしかして悪者の気配なのか?というのを考えた記録を載せようと思います。

※当たり前のようにネタバレがあります。特にタイムプリディクション未読の方は是非一読(多分次の次くらいにアルバム入るかな…)してからご覧いただければと思います。

 

 

 

■葛之葉家の役割

soremosouka.hatenablog.com

 

この記事で葛之葉家と雨彦がどんな家業をしていたのかを考察した。
憶測を極力覗いて言えば葛之葉家は「特殊清掃にプラスして人間のネガティブな感情やら、オカルトチックな案件も家業として掃除している」事がわかっている。

記事内でも話はしたが、葛之葉の家の人たちは人間の汚い部分を直視し続けなければならない状態にある。
特殊清掃業の人でも逃げだしたり離職したりする人たちがいる事は想像に難くないのに、更にオカルト系やら負の感情やらに塗れていたら、普通の人間であればもっと逃げる確率は高くなるだろう。

 

これは掃除をする人間側の視点だが、少し俯瞰した視点で考えるとどうだろう。
「掃除」の仕事はどのような時代であっても必ず必要になる。それを為す人間も、絶やしてはならない。
都度金で雇う事も出来はするだろうが、それを短いスパンで使い潰しては次をあたるというのは非効率だ。精神負荷に耐えられなくなって壊れてしまった人間を増やすのは掃除屋稼業としても本意ではない。

 

となれば、答えはひとつ。
掃除の使命を負った一族の血を絶やすことなく、そしてそこに生まれ落ちた人間を潰れぬように教育し、その任を続けていけるようにしきたりをつくっていく、という事だ。
非常に失礼な言い方をすれば「掃除に特化し、「自分」がある事を知らない人間」を作りだせれば、並の人間にも耐えられないような苦行もこなせるし、精神負荷も薄い、長く使える手足になる、という話なのではないだろうか。


タイムプリディクションのストーリー25で雨彦が放った「自分自身の人生にあまり興味が無い」について、
要は自意識の欠如が凄いことになっている状態なわけだが、何故これが起きたのかを考えた時に一番納得がいくのが上記で述べたいわば「掃除の為の人形」として彼が育てられたから、という推論に至る。


「あまり」と彼はぼかしてはいるが多分実際はあの撮影の合間ではじめて自分に人生がある事に気が付いた可能性も十分あると思っている。
自分の人生という感覚は抜け落ち、ひたすら厳しい修練を続け、与えられた「掃除を行う」という役割を全うしてきた人。
厄介なことに彼らの使命である掃除は内側に閉じきったものではなく、必ず外界とのやり取りが必要になる。
だから彼らは相応のコミュニケーションスキルと、信用に足る人柄も兼ね備えている。そのからっぽの自我まで抉じ開けられない程度に煙に巻く話術も。

Legenders結成5年目にしてこの話がようやく浮かび上がってきたのは、想楽やクリスやプロデューサーと雨彦自身の努力が実を結んだ結果だと思っている。本当に、よくここまで…

 

 

 

■葛之葉家は「悪」なのか?

SideMemoriesで雨彦は明言こそしていないが「人間はひとつしかやりたいことを持てない」という理念が透けて見えた。
これもきっと掃除を役割として叩き込まれてきたからだろう。

Pに「大事なものはいくつあってもいい」と教えられ、アイドルも掃除も両方全力でやると決めた雨彦は、葛之葉家にとってどう映るのかというのが今後の壁になる可能性もあるのでは、という説を別の方がしているのを見てなるほどとも思った。
確かに今まで憶測で話してきた葛之葉家の因習はとてもじゃないが人道的ではない。普通の人間ならつらくて逃げ出すレベルの物事に、辛く思う器官を切除した人間をあてがうというのはどれだけ必要な事だったとしても、軽率に容認されていいものではない。

パブリックイメージとして存在するそういった厳しい一族ならば、対立もするものなのかもしれない。

 

だが葛之葉家は本当に、悪なのだろうか?

 


私たちは葛之葉家の中で雨彦としかしっかりと関われていない。
ゆえに彼を軸に彼を育てた環境を垣間見るしかないわけだが、まず忘れてはいけない事のひとつに「葛之葉雨彦は人間が好き」というのがある。
生まれた時から使命を背負い、見えざるものをその目で捉え、人間の嫌な部分なんて飽きるほど見てきたであろう彼は30になってなお個人という単位を超えて人間そのものを好いている。
これは彼自身の本質もそうだろうが、確実に家族や環境にも起因があると思っている。
要はいい人というのは周りにいい人がいるからいい人になれる、という性善説みたいなもので、
少なくともSideMのストーリーに出てくる雨彦の血縁者であるお父さんと叔母さんは彼がアイドルになる事に反対していた様子はないし、
今も掃除屋との両立に対して何かいさかいがある様子もない。
あと、私はリメンバーショットの事を「彼らの人生を祝福してくれた人たち」の提示だと思っていて、
それが家族によって持ち込まれるかそれ以外かで雨彦と葛之葉家の確執有無がうかがえるのではと考えていた。

 

 

結果としてはこの通り、奈良の実家に帰った叔母さんから小さい頃の写真を貰っている。
さいころの写真があり、それを肴に二人で静かに談笑している光景はつまり、今も昔も雨彦は大切にされていることの表れだ。
そもそも本当に掃除にのみ邁進すべきという思考まであるのなら、雨彦が芸能界に興味を示した際の相談もあんな気軽に持ち掛けなかっただろうし、
少なくとも叔母さんに関してはかなり雨彦に対して親愛を持って接してくれているように見える。(若干怪しい挙動も増刊号でありはしたが)


そしてもう一つ、最初に出されて以来特に触れられていない情報のひとつ、
恒常雑誌「掃除屋稼業 後編」にある「全てを見通し 葛之葉の名と血を守るのは女たちだ」というもの。

これが何を意味するのかがあんまりよくわかっていなかったのだが、葛之葉家が本質的に人間の事が好きと仮定すると一個推論ができる。
葛之葉の家を続け、掃除の出来る人間を輩出する事で何ができるのかというと、無関係な人間たちが「掃除」しなくてすむ状況になる。
閉じた系譜を守り、その一族の中は使命に特化し壊れるはずの器官を取り除いた特別な人間で取り回し、次代へと続けていく。
自分たちが大好きな人間を一人でも多く守り、健やかに過ごせるように。そして使命を背負ってしまった一族はなるべく傷つかぬように、自意識を知らぬ間に取り除かれる。


ここまで考えると、「葛之葉家は掃除を最優先事項に掲げているがゆえの歪みこそあるが、根本的なところは因習にとらわれた人々ではなく、
人間のことを愛してやまない誇り高き一族なのではないか」という結論になった。


以前私はどこかの記事で「雨彦の境遇をかわいそうに思うのはお門違いだ」と言った事がある。
それは雨彦自身が掃除屋稼業に対してもまっすぐ向き合っており、悔いなどを一切見せていない所からも察せられる。
そこに加えてもう一つきっとあるべきなのが、「葛之葉家のしきたりと仕組みを悲観するのも違うのでは」ということ。
誇りと使命を持って自分たちの身を他人の為に捧げる覚悟を持ったひとたちを可哀想だなんて言う資格は、私たちにはきっとない。
その運命からアイドルという世界に偶然飛び出して、想楽やクリスやプロデューサーを通して自分というものを知ってくれた奇跡を祝福するのが私たちの仕事なんじゃないかなとも思う。
アイドルになってくれてありがとう。
今の雨彦なら、きっと掃除もアイドルも、そして自分の人生すらも全部抱えて生きていけると、Pは信じています。

 

■【閑話】雨彦は暁ナハトをどう思っていたのか

「タイムプリディクション ~時空の監視者~」において、クリスと雨彦、想楽が暁ナハトについて話すシーンがある。

クリスは「彼は尊敬している父を亡くして傷つき、人生の歯車が狂ってしまった…私個人としては、彼を悪人とは思えません」と言い、
それに対し雨彦は「…そうかい。」とだけ答えている。

ここに想楽が「雨彦さんは、そうとは思ってないみたいだねー。」と口をはさんで話は転がっていくわけだが、
結局ここで雨彦がナハトの事をどう思っているかについては言及が為されなかった。

で、まあ話の流れから察するにクリスが「悪人とは思えない」に対して想楽の言う「そう思ってない」を重ねれば、
雨彦にとってナハトは少なくとも同意できるような人間では無かった事が窺える。

ただそもそも、何故このシーンで雨彦が明言を避けるような形になったのかが私は気になった。
メタ的な視点だけど、こういうところって意見対立とか自分の思いを重ねて吐露することもできるわけだから、
あえて避けているのは何かありそうだなとも。

ナハトは尊敬している父親をタイムジャッカーに殺された。そのタイミングで足に怪我も負い前線を退いた。
そのタイミングから恐らくタイムワープを何度も繰り返して理人の言う「高潔」からほど遠い本編の性格になり、ディストピア世界の創造までをも目論むようになってしまった。

さっきまで散々話していた葛之葉家の使命は「身を捧げて他人を守ること」だ。ナハトも元々は同じだったと思われるが、
タイムプリディクション本編の彼はそこから行き過ぎた思想になってしまった。
それは使命に盲目になってしまった世界線の雨彦の暗示ともとれる。315プロに入った世界線の雨彦はそうはならないとも思えるがいまいち根拠が薄い。
もしかしたら今後の取っ掛かりは「自分自身の人生」にプラスしてこのあたりになってくるのかもしれないと思った。

 

 

■おわりに

特殊清掃の話が出た折にしんどいなあと思っていたんですが、そもそもSideMはあんまり悪い人がいない世界だったというのを今回痛感しました。葛之葉家は多分そんな褒められたものでないしきたりもあるとは思うけど、本質は悪い人たちではないと私は信じたいです。自分の家を悪く言われるのも雨彦的には本意ではないでしょうし。

何にしても、これからの雨彦とLegendersの道行きを見守る事しかPはできないと思っています。次のオフどこ行ったかちゃんと教えてね!ね!