水底ガムシロップ

世の中わかんないことばっかりだ

あつまれどうぶつの森はどうしてさみしくないのだろう

「あつまれ どうぶつの森」をやっていない時に、あつまれどうぶつの森の事を考える時が増えた。

それはまだ手付かずになっている土地の構想だったり、住民たちのプレゼント案だったり、たぬき通販で買わないといけないものだったり、色々だ。

 

その中でひとつ、思い出したことがあった。

 

 

そういえば今回、あんまりさみしくない。

なんでだろうと考えてみたお話。

 

 

◆明るく素敵でさみしい音

私は「どうぶつの森」シリーズは前作「とびだせ」しかがっつりやっていない。

だから他シリーズがどうなのかがちょっとわからないのだが、少なくとも「とびだせ」をやっていた時はゲーム中全くそんなこと思わなかったのに、ふとゲームをしていない時に思い出すと、びっくりするくらいさみしくなってしまった。

 

どうしてだろうと考えると、まず先に浮かぶのはBGMだった。

 

「とびだせ」に話を限定するが、とたけけの音楽はともかく、1時間ごとに切り替わるBGMは本当に出来がよくて、いくらでも聞いていられるくらいだった。

でもよく聞いてみると、少ない音で、間もたくさんあって、どこか「ひとりでいる」空気に満ちた、明るくて、それなのにどこかさびしい音楽ばかりだった。

 

同時に脳裏に浮かぶのはひとりで村を歩いて、道具をもって、走って転んで、ハチに襲われているむらびとの姿だった。

 

 

◆「どうぶつの森」のさみしい音楽は、どうしてこんなに魅力的なのか

 

でもどうして明るくてさみしい音楽がこんなに「いいな~」と思うんだろう。

そしてどうして「あつまれ」では1時間ごとに変わるBGMにそこまでさみしさを感じないのだろう。

 

考えてみると、それは「とびだせ」「あつまれ」のゲームシステムの違いと、そこから派生したプレイヤーを取り巻く環境そのものの違いが原因にありそうな感じがした。

 

ゲーム性の違いは両作をやった人ならわかると思うのだが、「とびだせ」は基本1人で完結できるゲームだった。実際私も友達と通信とかはあんまりしなかった。

欲しい家具はすれ違い通信によるおうち展覧会で注文するか村の発展をがんばればよかったし、お花だって自分でなんとかするしか方法はなかった(し走ったら一瞬で無になるし引っ越しテロもあったのであまりやる気が沸かなかった)。

 

「あつまれ」は言うまでもなく、時間操作しないでやるなら絶対に一人ではできないゲームになっている。嘘。時間操作しても多分一人では満足いく遊びができない。

DIYレシピだけでも気が遠くなるほどあり、売っている家具は島ごとのリメイク不可な「バリエーション」が存在する。これがまた恐ろしい数存なので、お目当ての家具に一人でたどり着くのはほぼ不可能だ。

 

つまり「とびだせ」は一人向けのゲームとして、「あつまれ」は複数人で遊ぶゲームとして作られている。

 

◆孤独とゲームとあなたとわたし

その昔、TVゲームが生まれてから少なくとも「とびだせ」が出ていた時代まで、ゲームは1人でやるものが多かった。

パーティーゲーム・対戦ゲームなんかはもちろんその枠には入っていない。でも思い返せば据え置きのゲームって友達を呼んで家でやる機会より家で一人でやる時間の方が多かった。

 

ゲームと向き合う時、人はひとりになる。

ゲームで夢中になっているからやっている時はわからない。

その見えにくい孤独に寄り添い、共感し「さみしいね」と言ってくれる存在は、きっと表面的にはわからなくても心に沁み込んでいったのだろう。

どんなに明るく楽しいゲームでも何かさびしいフレーズに年齢性別関係なくプレイヤーが惹かれるのは、ひとりでゲームをすることの孤独をわかってくれているからではないか。

 

 

Switchで出た今作はどうだろう。先述した通り「ひとりでずっと遊ぶこと」もできるにはできるが、恐らく製作者の本筋は「みんなで遊ぶ」事だろう。パーティーゲームのような「みんながいないとできない」とは少し違いどちらでも遊べるのでそのあたりはわかりにくいが。

わたしも旧来の友人やフォロワーに恵まれ、今も時々島を行き来したり遊んだり観光したり、思い出されるのはだれかと楽しく遊んだことばかりだ。

 

それに今作はひとりで遊んでいる時に、寄り添ってくれるのは音楽ではなくなっている。

 

個人的に印象強いのが「島クリエイター」で一生懸命自分の考えた島づくりをしている時だ。

真夜中だったり水や崖に囲まれた土地でない限り、ほぼ必ず作業している側にどうぶつたちがやってきて、座ってのんびりしたりしてくる。

作業妨害もいいところだったが、そうやって一人で黙々と何かをしている時、どうしてかどうぶつたちはこちらにやってきてくれる。「ひとりじゃないよ」と寄り添ってくれている気がして、無下にどかすことができなかった。

 

そうやって、ひとりでいてもみんなでいてもさみしくない世界に浸れるからこそ、現実ではみんなひとりになってしまった外出自粛の時流において大ヒットを記録したのではないだろうか。

 

ひとりでさみしくなる前に、誰かが来てくれる。あつまってくれる。

今作のタイトルにある「あつまれ」は、孤独を打ち消してくれる魔法の言葉だったのかもしれない。

 

 

…という話をレビュー検索かければいっぱい出てくるんだろうな~と思ってウキウキで探したら探し方が下手なのか全然なかったので書きました。みんなシステムがどうとかそういう話もいいけどもっと空気を楽しんだりしてもいいと思うなあ~!!あつ森たのしい!!!!