輪るピングドラムを今更ながらに全話視聴した。
ありがとうアマゾンプライム。ありがとうイクハラクニヒコ。
とにかく印象に残ったのが「親によって疵つけられた子供」。
多蕗は「才能を愛する」母に見限られる恐怖から指の腱を切り、
時籠は「娘を芸術品にする」父に虐待し殺される運命にあった。
荻野目は両親が離婚しさらに父親が再婚、母親は忙しくてかまってくれない、
陽毬は母親に見捨てられひとりぼっち、
冠葉と晶馬は、何一つ瑕疵なく愛情たっぷりに育てられたものの、ある日突然両親が大量殺人犯だと知らされ放り出された。
それぞれが傷つき、あるものは責任を転嫁し、あるものは自らその事実を「運命」とし、
またあるものは「親のしたことは子供にも継がれる」と罰を継承しようとさえした。
痛感したのは、「子供を傷つけない親になるのは神様になるより難しい」という事。
この作品に出てくる親はどれも極端な事例だが、それは完全なフィクションであるかと問われればそうではない。もちろん現実であるとも言えない。
親が自分の考えを押し付けたり、それをひた隠しにしてもいつか露呈すれば子供を傷つけることになりかねない。
ひとたびついた傷は心を縛り続ける。どんな特効薬も効かない病になる。
その病にひとりひとり向き合うのがピングドラムの大筋だった。
瀟洒で子供の夢そのものの情景描写と、渡瀬眞悧という男と荻野目桃果という女が噛み合い、あの作品に仕上がっている。
何しろ幼少期の視界は9割セーラームーンだったものだから、幾原邦彦のファンタジーと現実の境をぐちゃぐちゃに引っ掻き回す世界観演出はそれはもう感嘆しきりだった。
そのあたりの話はきっと優れたアニメオタクたちが論じてくれていると思うので割愛するが、今の日本のセラムン育ちオタクからはさぞ絶賛されただろう。されてなかったら私が絶賛しておく。
「世界は運命でできている」のか、「自分で変えられないものはない」のかの答えは出ない。そんなつまらない決め打ちをしてしまったらきっと楽しくないからだ。
見てよかったなあと思えたいい作品だった。
余談だが、最終話が終わってぼーっとしていたらそのまま少女革命ウテナの一話に飛ばされてしまったのでついでに見た。
かの有名な(同年代オタクにしか通じないという意味)「世界を革命する力を!」のシーンで手のひらをかえすように6歳児になってキャッキャしてた。すげえや幾原は。何喰えばこんな全人類ときめきで胸が壊れそうになるシチュエーションを思いつけるんだ。幼少期に見てなくて本当によかった。